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2011年3月

2011年3月31日 (木)

がんばろうニッポン!

きっと、良い方向へ向かうはず。

Img00540081

週末、彼岸のお墓参りを兼ねて県内の海沿いにあるオット実家へ行ってきました。

震災後はガソリン不足だったため遠出を控えていましたが、

ようやくスタンド状況も落ち着いてきたので様子を見に。

実家から徒歩5分ほどの魚市場は津波に襲われ、壊滅状態。

壊れた漁船や、がれきがまとまって置かれていました。

道路はところどころ段差や地割れでまっぷたつに割れていたり、ありえないようなカタチにグニャリと曲がっていたり。

橋も通行止め、近所のアウトレットやショッピングモールは津波で売り物にならなくなってしまった商品やゴミが外に大量に出されていて、震災後3週間経った今もまだ営業を再開出来る状況ではありませんでした。

そんな中、実家は自宅の50mほど手前で津波が引いたそうで、ぎりぎり被害を免れたようです。

心配していたお墓は、墓石が20センチほど右にずれていたけど無事でした。

石灯籠は落ちて割れてしまっていたけど・・

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私の住んでいる街は、平常どおりの生活にもどりつつあります。

ただ、お店がまだ通常営業ではないのでスーパーとか18時で閉店してしまうので仕事帰りに寄るのが難しいので、土日の昼間に買い物に行くようにしたり。

それでも復旧作業の早さには、本当に頭が下がります。

作業に携わっている方には心より感謝したいです。

もうこちらは大丈夫なので、いつまでも被災者面していないで出来ることから始めようと思います。

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茨城産の野菜価格が暴落しています。

スーパーで、水菜が1円、キャベツが12円で売られていました。

放射線基準値以下、とされているものまでこういったありさまです。

水戸の街中では農家の方々が、茨城産は売れないから、と無料で野菜を配布していました。

正しい情報、誤った情報、、

何が正しいのかも分かりにくい世の中ですが、誤った情報に踊らされずどうか冷静な判断をお願いいたします。

2011年3月16日 (水)

地震

今回の大地震で被害に遭われ命を落とされた沢山の方々のご冥福をお祈り致します。
そして、未だ救助を待つ方々が一刻も早く救出され、避難所にいらっしゃる方々が1日も早く安全な生活を送れますよう、心より願っております。

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3/11(金)。
PM2:46宮城沖マグニチュード9。震度6強。
PM3:15茨城沖マグニチュード7.4。 
2つの大きな地震が発生しました。 

地震発生時、私は職場がある二階で15時のお茶の準備をしていました。 
すると、たまたま点いていた参議院予算案の国会中継を流していたTVから、 
緊急地震速報が流れたのです。 

「大きな揺れがきます。注意してください。」

画面を見ると、岩手、宮城、福島、どうやら東北方面で地震が…

と思った直後、職場も揺れ始めました。 
「あぁ、いつもの震度3くらいの地震か」
そんな呑気なことを思っていました。 

茨城は震度3程度の地震がしょっちゅう起きるので、慣れているつもりでした。 

しかし。 

揺れが長い。 
段々と強くなってくる。

とても立っていられる状況ではなく、その場にしゃがみこみました。 

すると私が食器棚の近くにいるのを見つけた職員さんが、「そこから逃げて!早くテーブルの下へ!」と叫びました。 

慌ててテーブルの下へ潜り込むと、食器棚から皿やコップや茶碗が勢いよく落ちてガシャガシャと音を立てて割れています。 

更に揺れは強くなり、高いところにあったファイルや物が次々と落ちて散乱し、ロッカーが倒れ通路を塞ぎ、電気が消え…ただただガタガタガタガタと恐ろしい音が響いていました。

とにかく揺れが強くて長くて、
大袈裟ではなく本当に死を覚悟しました。 
古い建物なので、揺れに耐えられず倒壊してしまうかと思いました。
時間にしたらどのくらいあったのでしょう。 
とにかく長かった。

震度6強、、、こんなにも強くて長い間揺れている地震を経験したのは初めてでした。

大きな揺れが治まった後、上司が「外へ逃げろ!」と皆に声をかけてまわり、パニックになりながら物が散乱した廊下を横目に早足で階段を降り、外へ出ました。 

外には既に他部署の人々が避難していて、「何やってんだ!遅すぎるだろう!」と怒鳴られ…
わけが分からなくなっていると、また大きな地震が。
目の前にある塔(何の塔なのか分からないけどやたら高くて、頭でっかちのバランスが悪い塔)がぐらぐら揺れて今にもこちらに倒れてきそう…

これが茨城沖マグニチュード7.4の方でした。 

家族は無事なのか、と電話をするも繋がらない。 
幸いメールは使えたので、ひとまず自分は無事であることを送信。 

しばらく余震が続き、建物には入れない状態でした。 

外に出てようやく落ち着きを取り戻し辺りを見回すと、外壁が崩れ、瓦屋根が剥がれ落ち、ショーウィンドーのガラスが割れ、停電のため信号が停止し…

近所の住民も続々と外へ出てきました。 
皆無事を確認し、安堵の表情を浮かべていました。

一時間ほど外にいたでしょうか。 
上司から、きょうのところは家へ帰るようにとの指示があり、16時過ぎには解散になりました。 

一度荷物を取りに建物内へ戻ったけど、物が散乱し埃が舞っていて、4時間前にここでみんなで他愛もないおしゃべりしながらお昼ご飯を食べていたなんて思えないくらいの有様でした。 

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車で出ていくと、道路はすっかり渋滞。 
信号が消えてしまったので、交差点では皆が譲り合いながら右左折直進。もちろん警察官の手旗信号もありません。 
ゆっくり走りながらなんとか帰宅すると、
家のアパート駐車場に、会社の車に乗った夫がいました。 

良かった…

午前中は仕事で行方市にいたそう。 
会社は壁や天井が崩れて危険な状態だそうで。
無事会えて本当に良かった。 

アパートの部屋はTVとか物が落ちて危ないから、と車で待機していたよう。 
その上このアパートは隣接している道路をバスが通ると震度2くらいの揺れがあるので、今回の地震でアパートは潰れてしまったのではないかと心配しながら帰ってきたのですが、無事でした。 

ひとまずアパートは危険だし、電気水道ガス、ともに止まってしまったので暖をとるため車に避難していました。 
前々日にガソリン満タンにしておいて良かった。。

電波状況が悪く電話は繋がらないけどメールがなんとかなるので、次々と家族親戚友人から゙無事゙のメールが届きました。
Masia、hittyさん、Keikoちゃん、なおさん、よしっ!さん、ハウスさん、bzさん、七黒さん、なすさん、ラッシーさん、まるぶんさん、Crystal Tommyさん、はーちゃんさん、心配のメールをありがとう。 
真っ暗で救急車と消防車の音しか聞こえない夜に、みんなからの励ましメールはとても心強かったです。 

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真っ暗な夜が明け、朝がきました。 
アパートの住人たちもどこからか帰ってきました。 
アパート内へ戻って片付けをしていると、カチッと音が。 
電気が戻ってきました!
ガスも早かったです。
水は一昨日復旧しましたが、まだ全開ではありません。

我が家はたまたま、お風呂の残り湯で洗濯をしようとお湯を残していたので震災当日からしばらくは水はなんとかなりました。
飲料としては使えませんが、トイレの水を流すのにとても役立ちました。

それと食料もたまたま前日に買い物をしていたので、当面は細く長く食べつないでいけば大丈夫そう。

しかしこんな状況の中、復旧作業をしてくださる方には本当に感謝。。 

そして、電気水道ガスのある生活の有り難みを改めて実感しました。
限りある資源、本当に大切に使っていかなければならないですね。

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しかし、TVが見られるようになって目に飛び込んできたものは、東北地方の尋常ではない被害の様子。 
信じられませんでした。
これが日本なのか、と。
同じ時間帯に同じ地震に遭ったというのに、場所が違うだけでこんなにも…

毎日増えていく犠牲者の数、報道される被災地の様子を見るたび、心が痛みます。。

飲食料、薬など物資が不足しているとのこと。
遠方にいる私たちにできることは、節電、募金、献血くらいしかできませんが、避難されている方々ができるだけ安心な時間を過ごせるようにただ祈るばかりです。

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そして。

きのう、震災後4日分の新聞が職場に届きました。
県内の震災の状況が写真付きで載っていて愕然としました。
TVでは全くといっていいほど茨城の状況は放映されていませんが、津波に遭い水没した町、全壊した家、地割れした高速道路、土砂崩れ、液状化し崩壊した駅、橋の倒壊、津波に流されてどこかへ行ってしまった五浦六角堂、崩壊した鹿島神宮の鳥居…被害は相当だった模様。
地元にいながら県内の様子が分からない、そんな状況でした。

茨城も未だ避難所には何万人という方が避難しているし、義実家、友人宅はライフラインの復旧もまだ…スーパーコンビニはすっからかん、ガソリン不足、高速道路はきょうから使えるようになったそうですが、電車は依然として復旧の目処が立たない様子。
そのうえ放射能の心配も出てきて…不安だらけだけど頑張れ、みんなもう少し。。

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これを書いてる今も震度5の余震がありました。 

毎日続く余震に怯え、夜は私服を着たままいつでも逃げ出せるようにしていました。 

ここ最近は寝巻で寝られるようになりましたが、毎日一時間に数回震度2、3くらいの余震が続いています。

地震がくる前には地鳴りがするんですよ。
住む家があり、電気水道ガスが通っていて食料もある生活というのは本当に贅沢です、が、まだまだこちらも油断出来ません。

それと放射能の見えない恐怖は、10年前に起きた茨城の東海村JCO臨海事故で一度体験しています。 

当時は土浦まで通勤していましたが、帰りの電車が緊急避難命令のため途中駅羽鳥でストップしてしまい、夜中1時まで車内に閉じ込められていました。 

その後私は幸い水戸の自宅から両親が車でレスキューにきてくれたので、なんとか家にたどり着きましたが、当時は携帯でインターネットも見られず情報が全く入らなくて怖かったですね。。 

福島原発は大丈夫なのでしょうか…

今回の大地震で大幅にプレートがずれ込んでいつどこで大地震が起きてもおかしくない状況です。 

避難時にすぐ持ち出せるカバンを作って玄関に置いておくと良いですよ。 
非常食、水、懐中電灯、電池、電池式携帯充電器、ラジオは最低限必要です。

これを読んで下さっている皆様も、地震にはどうかどうかお気をつけくださいね。

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